一路敦賀へ! 金沢行「かがやき507号」 再びのグランクラス 臨時・令和阿房列車で行こう 〈1〉金沢行 その一
さあ、グランクラスへ(東京駅)
<口上>
「シン・令和阿房列車で行こう」で黒部を訪ねて以来、9カ月ぶりのご無沙汰です。
その間、連載をまとめた単行本「令和阿房列車で行こう」(飛鳥新社)を出させていただきましたが、お買い求めいただいた方へ満腔の謝意を表します。お買い求めにならなかった方にもそれなりに。その御礼も兼ねて今回、ウエブ限定で、臨時列車を運行することに相成りました。
出発を待つ「かがやき507号」(東京駅)
とりあえずの行き先は、3月16日に北陸新幹線が延伸される福井県敦賀市。では、出発進行!
本M北陸新幹線ルート図(令和阿房列車
× × ×
世の中、長く生きていると、たまにはいいこともある。
「令和阿房列車で行こう」を産経新聞で連載した功徳かどうかは不明だが、JR西日本から3月16日に延伸する北陸新幹線金沢-敦賀間の試乗会に参加しませんか、とのお誘いが昨年暮れにきた。ただし、行き帰りの旅費は自腹という条件で。
「試乗会」は、なんとも甘美な言葉であり、かつ人生を変えるほどのインパクトを持つ。
何しろ10歳のとき、親がどこからか山陽新幹線が開業した昭和47年、新大阪-岡山間の試乗券を調達したことが、半世紀以上にわたる鉄道愛の原点となったのだから。
もちろん、二つ返事でOKしたが、問題は先立つモノである。
わざわざ金沢まで行くのだから、新幹線延伸にあわせて金沢-敦賀間の運転を取りやめる特急サンダーバード号にも乗っておきたい。そうなると、金沢に一泊せねばならない。
ここは、心の広い大船編集局長におすがりするしかない。
「令和阿房列車を臨時運行して、北陸新幹線が伸びる敦賀まで行って来ようと思うんですが」
「そうですか」
あっさりと決まった。前任の三角局長(既に栄転しています)も懐が深かったが、それ以上である。
しかし、好事魔多し。
この会話がなされたのは、師走も押し詰まってからだ。
そう、それから数日後の令和元年元日に能登半島を大地震が襲ったのである。
× × ×
さて、どうしたものか。呑気に試乗会を楽しむどころではない。そもそも中止になるかもしれない。思案投げ首して、JR西日本に問い合わせたところ、「予定通り実施します」という。ならば、行かねばなるまい。
2月4日午前9時20分過ぎ。かがやき507号金沢行は、定刻より少々遅れて東京駅22番線から滑るように出発した。
乗車したのは、先頭の12号車。もちろんグランクラスである。
なぜ、「もちろん」なのか。「令和阿房列車で行こう」をお読みになった方には、先刻ご承知のことではあるが、初めて乗車されたお客様のために少々、お時間を拝借。
「令和阿房列車で行こう」は、内田百閒先生が今から70年以上も前に執筆した、ただただ汽車に乗るだけ(お酒もたらふく呑むが)の紀行「阿房列車」シリーズをオマージュしたものだ。
阿房列車のお約束は、特急「はと」(東京-大阪間を走っていた客車特急)など一等車を連結していた列車には、借金してでも一等車に乗ることである。
令和の御代に一等車という呼称はない。
戦後政治の一大転換期だった60年安保闘争が起きた昭和35年、特急「つばめ」「はと」が電車化されたのに伴って一等展望車が廃止となり、それまでの三等級制から二等級制になった。
ちなみに一等の運賃・料金は、三等の3倍、二等は2倍だったという。
最近は、格差社会だ、へったくれだと喧(やかま)しいが、昔の方がよほど格差社会だったのである。
大阪万博の前年である昭和44年には、二等級制も廃止されて、一等車(旧二等車)はグリーン車に、二等車は普通車となった。国鉄は車両のモノクラス化と歩調を合わせるかのように、赤字が雪だるま式に増えていった。
それから42年。東日本大震災発生の6日前、「スーパーグリーン車」と銘打たれたグランクラスが、東北新幹線「はやぶさ」に登場した。
定員はわずか18人で、本革表地のシートは、航空機のファーストクラス並だ(といっても乗ったことはないが)。値段も相当に張る。これは、現代の一等車と認定せざるを得ない。
令和の阿房列車と自称する以上、会社には誠に申し訳ないが、グランクラスに乗らざるを得ないのだ。
さて、かがやき507号が、遅れを取り戻すべく快調に走りだしたところで、ちょうど時間となりました。
この続きは、明日のこころだぁ!