キスするだけで簡単にうつり、さまざまながんの原因となる謎の病原体「EBウイルス」に全世界の95%が感染していたという衝撃の事実
キスするだけで簡単にうつり、さまざまながんの原因となる謎の病原体「EBウイルス」に全世界の95%が感染していたという衝撃の事実
kissing diseaseと呼ばれるウイルスがある。Epstein-Barrウイルスがそれであり、キスによってしばしば広がることからそう呼ばれている。
このEpstein-Barrウイルスは、感染した人に、がんを含むさまざまな病気を起こすことがあるという。
【※本記事は、宮坂昌之・定岡知彦『ウイルスはそこにいる』(4月18日発売)から抜粋・編集したものです。】
ほとんどの人が成人までに感染するウイルス
Epstein-Barrウイルス(以下、EBウイルス)はDNAウイルスの一種である。エプスタイン(Epstein)とバー(Barr)という2人の科学者により発見されたことが名前の由来である。
このウイルスは、二本鎖DNAウイルスのヘルペスウイルス科に属し、ヒトヘルペスウイルス4(Human herpesvirus 4、HHV-4)ともよばれる。唾液を介して感染し、ほとんどの人が成人までにこのウイルスに感染する。多くの人は感染しても無症状だが、その後、ウイルスが体内に残り続け、潜伏感染となる。
また、一部の人では初感染時に伝染性単核球症といってリンパ球に感染が起こり、肝臓、脾臓やリンパ節などがはれ、さらに発熱、喉の痛みなどの風邪によく似た症状を示す。この病気は自然に治るが、この場合もウイルスが体内に潜伏感染の形で残り続ける。主な感染細胞はリンパ球であるが、一部、上皮細胞にも感染する。
キスで広がるウイルス
このウイルスは、体液のうち主に唾液中に出てくる。EBウイルスによる伝染性単核球症はこのためにキスによりしばしば広がり、kissing diseaseともよばれる。アメリカでは、大学の入学後すぐや軍隊への入隊直後の若い人たちに見られることが多い。多くの若い人たちが集い、密接な交流が始まるからである。
この病気では、Bリンパ球にウイルスが感染し、一時的に急激なリンパ球増殖が見られるために、リンパ組織、特にリンパ節や脾臓がはれる。したがって、診断のためには触診をしてリンパ節や脾臓のはれを確かめる必要がある。ただし、伝染性単核球症の際のはれた脾臓は柔らかいので、外圧をかけると潰れやすい。
著者の一人(宮坂)が自分の医学生時代のことで今でもよく覚えているのは、内科学臨床実習のときのことである。「若い患者でEBウイルス感染症を疑うときには腹部触診はよく気をつけてやるように」と言われた。慣れない研修医があまり強く触診を試みると、そのために脾臓に圧がかかって破裂する恐れがあるからだった(脾臓が破裂して知らずに放置すると、出血性ショックが起きて大変なことになる)。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の一例として記憶に残る教えだった。
さまざまながんの原因となるEBウイルス
EBウイルスは、感染した一部の人でがんを含むさまざまな病気を起こすことがある。たとえば、上咽頭がんや悪性リンパ腫だ。
EBウイルスが原因として起きる上咽頭がんは、鼻で呼吸をするときの空気の通り道である上咽頭の内腔を覆う上皮細胞にできるがんである。アジア、特に中国南部、台湾や東南アジアの一部で多く見られる。
一方、EBウイルスが原因として起きる悪性リンパ腫は、リンパ球の中でもNK細胞に由来する悪性腫瘍であることが多く、日本を含む東アジアでしばしば見られる。
どうして同じEBウイルスが異なるタイプの腫瘍を生み出すのかはよくわかっていないが、潜伏感染をしているEBウイルスのゲノム解析をした結果、中国南部・東南アジアのEBウイルス株と日本を含む東アジアのEBウイルス株は異なるグループに属する可能性が最近示唆されている。もしかすると、その地域に分布するEBウイルス株の種類によって異なる病気が出てくるのかもしれない。
一般的にウイルスは、自分の子孫粒子を作り出すときに感染している細胞を破壊し、これが原因・誘因となってヒトに病気を起こすが、EBウイルスによる発がんは少し趣が異なる。EBウイルスは潜伏感染している間に、ある限られたウイルスRNA、タンパク質を発現することで感染している細胞を不死化、さらにはがん化させてしまう。
EBウイルスによる細胞の異常増殖、がんの病態はじつに多様でとらえどころがない。それぞれの病態によってウイルス遺伝子発現様式が異なり、異常増殖・がん化のメカニズムも異なる。
共通することは、潜伏感染する細胞が、先の水痘・帯状疱疹ウイルスの神経細胞のようにほとんど分裂しない細胞とは異なり、盛んに分裂・増殖する細胞である点だ。そのため、細胞が分裂する際にウイルスのDNAゲノムも同調して、分裂先の細胞にも受け継がれる。
またこの潜伏感染の間、時としてウイルス粒子を産生しない(=細胞を破壊しない)程度に、さまざまなウイルスRNAやタンパク質を発現しながら、少しずつ細胞内外の環境を変化させ、さらに潜伏感染細胞のヒト染色体に変異を蓄積させていく。これらが積み重なることで、細胞ががん化してしまうらしい。
また最近、EB陽性がん細胞では、ウイルスゲノムから、ウイルス粒子の産生や潜伏感染に必要な遺伝子領域が失われており、通常の潜伏感染時よりも多くのウイルス遺伝子が発現していることも明らかとなった。このウイルス粒子産生を伴わない大量のウイルスRNA・タンパク質発現が細胞の異常な活性化を引き起こし、がん化に向かわせているのかもしれない。
最近、EBウイルスの潜伏感染が神経難病である多発性硬化症の原因の一つかもしれないという報告が相次いでいる。多発性硬化症は中枢神経に炎症が起こる難病の一つで、英語でmultiple sclerosisということから、頭文字をとってしばしばMSともよばれる。炎症のために神経を覆う髄鞘が壊れて、脱髄現象(中の電線部分がむきだしになること)が中枢神経のあちこちで起こる。炎症が一時的に治まった後はあちこちで傷あとが硬くなるので多発性硬化症と命名された。
多発性硬化症では、運動障害、感覚障害、認知症などの神経症状が現れる。日本では約2万人の患者がいると推定されているが、現在のところ効果的な治療法が見つかっていない難病だ。
EBウイルスと多発性硬化症との関係を示す報告の一つは、アメリカ軍の若い兵士約1000万人について20年以上にわたって調査したもので、特に多発性硬化症の発症者、約1000人について詳細に調べている。それによると、多発性硬化症の患者は1例を除いて全例がEB抗体陽性であった。
さらに、血清が経時的に保管されている35例のうち、なんと34例がEB感染を起こした後に多発性硬化症を発症していた。さらに、EB感染後に神経軸索の損傷を示す血清マーカーのニューロフィラメント軽鎖が上昇し始めており、EB感染者はほかのウイルス感染者に比べて多発性硬化症を発症するリスクが32倍高いという結果であった。つまり、EB感染を契機として神経変性が始まり、その結果、多発性硬化症が起きるという可能性が示唆されている。
それでは、なぜEBウイルス感染が神経変性を引き起こすのであろうか? 最近、アメリカの研究グループが興味深い結果を報告している。それによると、多発性硬化症の患者由来のBリンパ球(=抗体を作る細胞)の中にはEBウイルスの転写因子(遺伝子の転写を制御するタンパク質群)の一つEBNA1に対する抗体を作っているものがあった。
そしてこの抗体は神経細胞を包むグリア細胞に発現するGlialCAMという特定のタンパク質にも結合を示していた。つまり、EBウイルスに対する抗体が同時にGlialCAMという自己抗原(しかも神経系に特異的に存在する抗原)にも反応したということだ。
これは、分子相同性(molecular mimicry)とよばれる現象で、ウイルス抗原の一つEBNA1と自己抗原であるGlialCAMが構造的に偶然よく似ていて、そのためにウイルス抗原に対する免疫反応がグリア細胞でも起きたことを示唆する。簡単にいえば、ウイルス抗原と自己抗原が瓜二つだったために、ウイルスを排除する免疫反応が自己の神経細胞を〝誤爆〟してしまったということだ。
もしかすると、一部の人ではEBウイルス感染の結果、抗EBNA1抗体を作り、この抗体がグリア細胞に結合して神経系が攻撃され、多発性硬化症が起きてきたというシナリオが考えられる。
確かにこのようなことがEBウイルス感染後に起きれば、引き続いて神経系に炎症が起こる可能性が考えられる。しかし、通常は血液脳関門というバリアが神経系には存在するために、免疫系が作る抗体は脳には入らない。また、なぜ一部の人だけで神経系に炎症が起きるようになるのかも不明である。
潜伏感染を起こすヘルペスウイルスは一般的に、青年期あるいは大人になってから初感染すると幼児期での感染に比べて不都合なことが起きやすくなる。このEBウイルス感染と多発性硬化症の発症の論文は好例である。
EBウイルスは全世界でおよそ95%の人が感染しているが、多発性硬化症を発症することはほぼない。しかし前記のごとく時間経過を追うことができた35人のうち34人が、大人になってから(アメリカ軍に入隊して以降)EBウイルスに初感染し、多発性硬化症を発症したのである。小児でのEBウイルス初感染は多くの場合、不顕性感染であるが、思春期での初感染は伝染性単核球症を発症しやすくなる。
さらに伝染性単核球症を発症すると、発症しない場合に比べて、ホジキンリンパ腫や多発性硬化症を発症しやすいことも明らかとなっている。これとは別に、ドイツからの大規模追跡調査では、EBウイルス感染者の中でも、伝染性単核球症発症者では将来、より血液系やリンパ球系の腫瘍を発症しやすいことも明らかとなっている。
*
私たちのからだは一見きれいに見えても実はウイルスまみれだった!
宮坂昌之・定岡知彦『ウイルスはそこにいる』(4月18日発売)は、免疫学者とウイルス学者がタッグを組んで生命科学最大のフロンティアを一望します!