「よう、てめえ、戻ったか」「まぁ、座れよ」数日間家に帰らず麻雀を打ち続けていたムツゴロウさんが作家として飛躍した“妻の一言”
〈 「やる以上徹夜で死ぬ思いで打つ」麻雀にドハマりしていたムツゴロウさんが見た親友“阿佐田哲也の生きざま” 〉から続く
動物との共棲を目指して設立された「動物王国」で人気を集め、作家としても活躍した“ムツゴロウさん”こと畑正憲氏。23年4月5日に87歳でこの世を去った彼の麻雀の腕前は相当なもので「10日間不眠不休で打ち続けた」こともあるという。ここでは『 ムツゴロウ麻雀物語 』(中公文庫)より一部抜粋。
稼ぎに稼いでいたムツゴロウさんを作家として飛躍させたのは、妻からの言葉だった。ギャンブルと人生について思いを巡らせたムツゴロウさんの考えをご紹介する。(全2回の後編/ 前編 を読む)
◇◇◇
麻雀で大勝ちし、不動産の権利を得たムツゴロウさん
こうして5日間、私たちは同じ所に座り続けていた。
三人は深夜、もういいやと牌を投げ出した。
充分に満足し、打ち続ける気力をなくしていた。
精算してみると、シマちゃんの負けは、かなりの金額に達していた。彼は下に降りて行って、不動産の方の金庫から、その一部を支払い、どうだろうと言って、二階の権利書を差し出した。
「大敗しちまって、現金がないでは済まされないのだけれども、二階のすべての権利をゆずるものなんだ。店を続けてもいいし、やめて住んでもいいんだ。誰かに貸して家賃をとってもいいし、敗けた分はあると思うんだけどね」
私たちは辞退したけれど、他に精算する方法がないとすれば、預っておくしかなかった。それをポケットにねじこんで、私は帰宅したのである。
裏口から戻ると、座敷には明りがついていた。人の気配もあった。
―いけねえ。早く帰り過ぎたか。
何日間も連絡なしで留守にしていたので、バツが悪かった。
私は舌を出し、首をすくめ、そうっと障子を開けた。
「よう、てめえ、戻ったか」
女房は、コップで酒を飲んでいた。
雲行きが悪いなんてものじゃない。台風にとびこんだようなものだった
「どうも」
私は立ったままで頭をかいた。
「まあ、座れよ」
雲行きが悪いなんてものじゃなかった。台風の中にとびこんだようなものだった。
「済まなかった」
ポケットから勝ち分を出して女房の前に並べた。会社の同僚から貰った分に、シマちゃんから巻き上げた分まで加えて、札束には厚みがあった。
女房はコックリ頷き、
「苦しうないぞ」
「どうもね、はじめ負けちゃって」
「そんなことだろうと思ってた」
「これもあるんだ」
私は自慢げに、店の権利書をさし出した。それを見て女房は、顔色を変え、居ずまいを正した。
「あなた―」
「なんだ」
「一つだけ言って置きたいことがあるの」
急にしおらしくなった。
「どうしたんだ」
「これは返してきて下さい」
「麻雀の方が給料より3倍稼げるよ」
「何を言うんだ。これは、何百万円もするものなんだよ。食っていけなくなった時、これさえあれば何とかなるんだ」
「それがいけないんです。ね、お願い」
「…………」
「わたし、これまで、あなたの道楽に、文句を一回でも言いましたか」
「―いや」
「それに免じて、戻してきて下さい」
「それは、まあ、そうしても、でも、いやなに……」
私は口の中でもぞもぞ言った。
「あなたは心の底で、麻雀のプロになっても食って行けると思っているんでしょう。現にこれだけの現金を持ってきて下さいました」
「給料よりね、その3倍くらいはね、そのくらいは稼げるよ」
何か月は、いっそ、麻雀でやってみたいなと私は考えてもいた。並んで失業保険を貰うみじめさに比べれば、麻雀で稼ぐ方がいっそ爽快である。
「これまで家計が苦しい時、何度も助けていただきました。わたしが手術をうけた時、妹が結婚した時……」
もの要りがある時、私は軍資金を渡され、雀荘に出かけたものだった。それは特技でもあり、手術の費用や妹の結婚資金を、牌の間からひねりだしたものであった。
「やったよなあ」
「麻雀打ちの女房になりたくないのです」
私はうっとりしていた。
「今までは、正業が他にあったからよかったのです。正業に戻らざるを得なくて、それでバランスがとれていました。あなたは、今、職がないんですよ。これで麻雀に打ちこんだら、本当のプロになってしまいます。わたしは、麻雀打ちの女房になりたくないのです。分かっていただけますか」
「それはお前、なにもずっと、プロになろうとしているのではなく」
「やめて下さい」
「それは無理だよ」
「クビになった時、何と仰有ました」
「うん―」
「これで好きな道を歩けると仰有いました。わたしだって、それがうれしいので、退職を祝いました。どうか、文章を書いて下さい」
「しかしねえ」
「やめろと言っても、永久にとは言っていないのです。文章が売れるようになったら、いつでも始めて下さい」
「まあね、それだったら」
睡魔がどっと襲ってきて、私はどうでもよくなっていた。
「誓ってくだされますのですか……」
女房は酒が飲めない性質なので、ロレツがまわらなくなっていた。
「いいのだろうかなあ」
私も変であった。
「よろしいのですけれも―ああ苦しい―もし破ったれたらら、わたし、娘をつられられて、九州に帰るますわ」
ムツゴロウは果たして麻雀をやめることができたのか
「よろしいれよ」
「ああ、よかった」
「おれらもちょっくら酒を」
「いけませれんわ。だけろ、ずいぶん勝っちゃって」
「うんうん」
「いくらあるら」
「さあて」
「算えてみなされ……」
二人は、体をゆらゆら動かしつつ、札を算え始めた。一、二、三と、指で丹念にくっていくのだが、札束は、遠くへ行ったり、急に近くへきたりした。遠方から近くへ急に近づく時吐気がしたりした。
女房も算えながら前かがみになり、そのまま二人とも前後不覚に眠ってしまったのであった。
それからしばらくの間、私は麻雀から遠ざかった。店の権利書も、シマちゃんに返してあげた。シマちゃんは勝負師だから、負けたものをタダで受け取るわけにはいかないと言い張っていたが、
「それがねえ、もしだよ、おれが持ってたら雀荘の主人になっちまうと思うんだ。それでどうってことないんだけど、クビになったとき、作家になると宣言しちまってるから、意地でもなってみたいんだよ」
そう言うと、それもそうだねと、受け取ってくれた。
麻雀を積極的にやろうという気持ちにならなくなっていった理由
シマちゃんは、間もなく、長野の方へと退散してしまった。結核がひどくなっていて、入院したけれども、どうにもならずに亡くなったという。多分、私と打ったのが、最後の麻雀になったのだろう。
あの夜、耐え切れなくて喋り始めたのは、体が弱っていて、昔のことが思い出されてならなかったのじゃないかと思うにつけても、権利書を返しておいて本当によかったと顔が赤くなった。
二た月後ぐらいから、小説ではなかったけれども、コピーが売れるようになった。私には、科学関係に強いという特技があったので、注文が多くて、たちまち、勤めていた頃の月給の何十倍かを稼ぐようになった。
女房は頭を下げた。
「麻雀、よろしいです」
「そうか、ふん、そうだね」
「よく辛抱して下さいました」
「そうは言っても、3月と経ってはいないんだぜ」
「ですけど、やめて下さったのには感謝しています」
「そんじゃまあ、すこしやるか」
とは言っても、積極的にやろうという気は起こらなかった。どうでもよくなっていた。血眼になって、金のやりとりをするのがつまらなくなってもいた。
そんなある日、映画時代の友人に誘われて東洋現像所の近くで牌にふれた。久しぶりだった。
「いいもんだね、リーチ」
私は早速、牌を横にした。
すると、悪いね、と対面が手牌を倒した。
いつかと同じで、信じられぬ不運が待ち構えていた。勝負する牌がすべて誰かのアタリ牌になってしまうのだ。
陽気に負け続けたムツゴロウを待っていた結末
私は、はじけるように笑いだした。
「どうしたんだ、涙なんか流しちゃって」
「ははは、だって、おかしいじゃないか」
「何が、おかしい」
「ふふふ、おれ、アタリ牌を選んで切り出しているみたい」
「それがおかしいことか」
「おかしくないのかい、ははは……」
陽気に負け続けた。
辛抱もクソもないのである。私が河に置くものは、すなわち誰かのアタリ牌という進行になってしまった。
三荘目、家から電話がかかってきた。
「あなた、アタリよ」
女房の声は弾んでいた。
「宝くじか」
「そのようなものね。あなたの本が」
「や!」
いいことがあれば、へこむ部分があるのが人生なのだろう
「そうなのよ。賞をいただいたの」
「なるほど」
「新聞社から電話が入ってるの。帰ってきてくれる?」
「よし。すぐ戻る」
エッセイの賞であったが、これで世の中に出たと私は確信した。目の前の扉が開いた感じがした。
それからは原稿の注文が、切れずにくるようになった。ひょんな事情で出版した本が賞をいただき、私は、原稿を出版社に持ちこむことなしで終わってしまった。
今でもときどき、賞のしらせがあった時の麻雀のことを思い出すのだが、何か嬉しいことがある前日、麻雀をやっていると、ツキがまったくなくて、放銃を繰り返し、阿呆みたいに負けるようである。
「他のことでツク時には、麻雀の方のツキが落ちるのかなあ」
と、私は考えるようになった。あちらもこちらもツクというのは、贅沢というものかも知れなかった。こちらでいいことがあれば、へこむ部分があるのが人生なのだろう。
(畑 正憲/Webオリジナル(外部転載))