《とにかく党に戻りたい》日本共産党「除名処分」の松竹伸幸氏が語った衝撃の“冷蔵庫事件”と党の論理
日本共産党は1月18日、4年ぶりの党大会で、志位和夫委員長に代わり、田村智子氏を新しい委員長に選出。「女性初の党首の誕生」として注目を浴びている。一方、この党大会で除名処分の撤回を求め、「再審査請求」を行なっていたのが、日本共産党中央委員会で長年活動を続け、昨年、共産党を除名処分となった松竹伸幸氏だ。松竹氏は昨年、「党首選挙制」の導入を訴える『シン・日本共産党宣言』(文春新書)を刊行したことで、共産党から除名処分を受けた。だが、共産党は党大会で、松竹氏の主張は「処分の理由を覆すものではない」として、「請求却下」を決定した。
党大会直前、松竹氏は作家の佐藤優氏と対談。日本共産党への思いを語っていた。
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1月18日の党大会であいさつする田村智子新委員長 Ⓒ時事通信社
なぜ「除名」されたのか
佐藤 松竹さんは「除名の撤回」を求めていますが、そもそも共産党にとって「除名」処分まで下す必要があったのかはよく分からない。党の対応としては、松竹さんの本を無視するか、かつての「田口富久治・不破哲三論争」の時のように、正面から批判すればいいからです。
松竹 私もよく分かりません。
佐藤 共産党の対応について、朝日新聞は、「党のあり方を真剣に考えての問題提起を、一方的に断罪するようなやり方は、異論を許さぬ強権体質としか映るまい」(2023年2月8日付)と批判しました。
すると翌日、志位さんがこの社説を取り上げて、「あまりに不見識だ」「規約違反の事実で処分をしたことについて、共産党が異論を排斥する党だと描いているわけだ」「結社の自由を全く無視して、乱暴な攻撃だと、それを大手新聞を名乗る産経新聞が社論として掲げた……あっ、ごめんなさい、産経新聞、たいへん失礼いたしました」「党の自主自立的な運営に対する乱暴な介入であり、干渉であり、攻撃だと私たちは断じざるを得ない」と、朝日と産経を取り違えるほど興奮していました(笑)。
松竹 志位さんをよく知る記者も、「頭がよくて理論派で、いつも穏やかで、怒ったところは見たことがなかったのに」と驚いていました。
あんな志位さんは私も初めて見ました。知人の記者は「彼女を奪い合ったとか、何か特別な私怨でもあるんじゃないですか?」と。
もちろんそんなことはありませんし、政策委員会にいた頃は、日曜日に子供の預け先がなくて、党本部の志位さんの部屋まで連れていったこともあります。走り回るままにさせてくれましたし、肩車もしてくれました。
志位さんが激高したのは……
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共産党本部の政策委員会メンバーとして安全保障や外交の責任者も務めた松竹伸幸氏(68)。2006年に党本部を退職していた彼が一躍注目を集めたのは、昨年1月のこと。『シン・日本共産党宣言』(文春新書)を刊行し、共産党も自民党や立憲民主党などと同様に、党首を全党員による投票で選ぶ「党首選挙制」を導入するよう訴え、「ヒラ党員」として自らも立候補すると宣言したからだ。
本書刊行後の2月5日、松竹氏が所属する共産党京都南地区委員会が党規約で最も重い「除名」処分を決定し、翌日に京都府委員会が承認。これに対し松竹氏は、「除名の撤回」を求め、1月15日〜18日に4年ぶりに開催される党大会での「再審査」を求めている。
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佐藤 志位さんが激高したのは、松竹さんの提言が「党内に派閥・分派はつくらない」「党の内部問題は、党内で解決する」という共産党の組織原理である「民主集中制」を揺るがしかねないからではないですか。
松竹 問題になったのは、党歴60年の大先輩である鈴木元さんが、『志位和夫委員長への手紙』(かもがわ出版)を私の本と同時に出したことです。春に出す予定だったのを、「同時に出せば話題になる」と私が口説いたことが、「分派活動」にあたると判断されたようです。
佐藤 「分派活動の禁止」は極めて厳格ですね。
松竹 誰であれ、他の支部や他の地区の党員と日常的に連絡を取り合うことは許されていません。
佐藤 松竹さんが体験された“冷蔵庫事件”は衝撃的です(笑)。
党本部では冷蔵庫が禁止されていた
松竹 火事を起こしたら困るという理由で党本部では冷蔵庫を置くことが禁止されていたはずなのに、別の部局に冷蔵庫があることがわかり、幹部に「私の部局にも置かせてほしい」と頼んだところ、「他部局と連絡を取っているのか。分派に繋がる行為だ!」と批判されました。
戦前は、党員が特高警察の拷問に耐えかねて仲間の名前を喋ることで芋づる式に検挙され、1950年代には、路線対立で党が分裂しました。党が分派活動を警戒するのには、こうした歴史的な経緯もあります。
米原万里氏「組織が人を切る時は本当に残酷なものよ」
佐藤 共産党から除名された知人に、米原万里さんがいます。彼女の父米原昶(いたる)さんは共産党の衆議院議員だったにもかかわらず、彼女は学生時代、規律違反で処分された東大院生の伊里一智に関わったとして査問を受けた。伊里氏の処分を先導したのは志位さんです。2002年に私が逮捕される前日、米原さんから「いつまで外務省に忠誠を誓うの? 組織が人を切る時は本当に残酷なものよ」と電話をもらいました。
松竹 私が民青の大会の通訳団に入った時、米原さんもいました。民青の幹部が非合理的な方針を出すので、私が「おかしい」と訂正したら、「貴方は見どころあるわね」と褒められました。「ところで結婚しているの?」とも言われたので、慌てて「結婚しています」と(笑)。
佐藤 2006年に党本部を退職されたのは、志位さんとの意見の相違が原因ですね。
自衛隊をめぐって志位さんから物言いが
松竹 意見の相違が表面化したのは、2005年春、私が党の月刊誌『議会と自治体』に「九条改憲反対を全国民的規模でたたかうために」という論文を寄稿した時です。改憲問題が日本政治の焦点となってきた局面で、国民世論は「九条も大切だが、自衛隊もリスペクトしている」と分析し、「今後、共産党は九条支持派と自衛隊擁護派を繋いで、護憲の多数派を作る重要な役割を果たせるのではないか」と主張しました。
佐藤 しかしこの論文に、志位さんから物言いがついた。
松竹 「侵略されたら自衛隊で防衛する」という党の立場は、「安保条約が廃棄されて以降の方針で、それ以前にも自衛隊を使うという考えは間違いだ」というものでした。そこで、雑誌の次号に自己批判文書を載せるように求められたのです。
しかし私は、「自衛のためでなく自衛隊を使うのは間違いだが、侵略された場合は、安保条約の有無に関係なく自衛隊を使うのが当然だ」という主張は変えずに、「自衛隊が違憲だと論文中に書いていないこと」についてのみ自己批判する文章を雑誌に載せて、党本部を退職しました。
立場を大きく変えた志位氏
佐藤 しかしその後、志位さん自身が立場を大きく変えています。
2015年、新安保法制の成立直後、共産党は、新安保法制廃止をめざし、「国民連合政府」の樹立を呼びかけ、そこで「野党による連合政権ができた場合、安保条約廃棄にこだわらない」としました。
さらに会見で、「自衛隊を活用することは当然」と発言しています。
松竹 「安保条約が廃棄される以前にも自衛隊を使うという考えは間違いだ」と私に自己批判を求めた立場とは180度変わっています。ある知人からは「共産党を辞める必要はなかったのでは」と言われました。
佐藤 志位さんの立場は、かなり揺れているわけですね。
松竹 志位さんは、2000年の党大会で、不破哲三さんの後任として党委員長となりますが、この大会で「(自衛隊の存在を憲法違反とした上での)自衛隊活用の方針」を決めたのは不破さんです。田原総一朗さんの『サンデープロジェクト』での発言がきっかけでした。
この不破さんの方針に志位さんとしては、どこか納得できないものがあったのでしょう。だから、2005年の私の論文を断固否定した。
佐藤 でも、10年後にはそれを自分で翻した。結局、松竹さんを除名したのは、志位さん自身が悩みながら揺れ動いてきた歴史を直視したくないからですね。
松竹 先日、田原さんは、「志位さんは本音では、自衛隊も安保も認めないと政策としては成り立たないと考えている。しかし、それを言ったら共産党が崩壊するから言えないんだ」と言っていました。本来、志位さんは、私を除名せずに、私と一緒に進むしかないのに、徹底的に議論する覚悟がなかったのでしょう。
佐藤 志位さんは、心のなかでは、松竹さんを除名したくない、しかし組織のトップとしては、切らざるを得ない。すると、松竹さんの「不品行」を理由に除名するのが最も簡単ですが、文字通り「品行方正」な松竹さんですから、党の方も困ったことでしょう(笑)。
松竹さんは、この1月に4年ぶりに開催される党大会での除名処分の撤回を求め、再審査請求をなさっていますね。
再審査請求を議題にするのか
松竹 再審査規定は規約に存在していますが、過去には一度も例がない。実際に党大会で議題にかけられるのかさえ分からない状況です。
ただ、党大会を控え、知らない党員からも連絡が来ます。「党大会で松竹さんが復党しなかったら、離党するということを表明して代議員に立候補した」という方もいました。
佐藤 党本部は対応に苦慮していることでしょう。
松竹 全会一致で否決したいので、代議員の名簿に私の支持者が1人も入らぬように画策しているようです。また、「党大会に1200字までなら意見を出してよい」という規定があるのに、今回は「党大会決議案に対する感想・意見・提案をお寄せください」と書かれています。
佐藤 大会決議案には、松竹さんの除名については書かれていないから、意見は出せないわけですね。
ところでこれまでにも除名された党員はいたのに、「再審査」が請求されなかったのはなぜでしょうか。
松竹 そこは不思議ですね。ただ私の場合は、とにかく党に戻りたい。「除名」処分を受けても、「そんな党だから愛想をつかす」という気にはとてもなれないんです。私はいまも共産党に希望をもっています。
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本記事の全文 「志位委員長よ、なぜ私が除名なのか」 は、「文藝春秋」2024年2月号、および「文藝春秋 電子版」に掲載されています。
(松竹 伸幸,佐藤 優/文藝春秋 2024年2月号)